スペイン&ポルトガル日記

1999年5月17日-6月2日



5月17日
昼頃もくもくを出発、森人を所沢のアパートに送って成田へ。夕方中島さんと落ち合って空港内で食事。
午後9:55のエールフランス、パリ行きにて成田を出発。
外国のエアーラインに乗ると、その瞬間から非日常となり、旅に出る喜びでわくわくする。
エールフランスはワインがおいしくて飲み放題だし、2年前に利用した時、若い!スチュワードになんと「マドモワゼル」といわれて一人舞上がり、それ以来ヒイキにしているのだ。さすがに帰りの便では「マダーム」と呼ばれたけどね。
オバサン殺すに刃物はいらぬ、歯の浮くセリフがあれば良い、と言う所でしょうか。

5月18日
寝ているうちに時は過ぎ、早朝ドゴール空港に到着。夜便は良い。
しかしポルトガルのポルト行きは午前10時発で後5時間半もある。カフェもレストランもまだ閉まっている。結局空港のベンチで延々待つはめに。
時々外の空気を吸いに出てみる「おおーこれがパリの匂いか!」でも実は空港の周りはゴミだらけ「え・・・なんで?フランスの玄関でしょう、花の都パリでしょう?」ラテン系の人はあんまり気にしないのでしょうか?
ようやく開いたカフェでビールとおいしいクロワッサンのサンドウィチを食べ機上の人に。
3時間でポルトに到着。 
空港で日本から手配しておいたレンタカーを受け取るのに一苦労。
何せ世界共通語であるブロークンイングリッシュ?が上手く通じないのだ。前途多難。
ポルトはポルトガル発祥の地と言われる古い都で空港からかなり離れている。
高速にのってポルトの町にようやくたどり着いたものの、石畳の狭い一方通行の標識だらけの道。地図があっても、もう何処をどう走っているのか分からない。とりあえず駐車場に車を入れ、歩いてホテルを探すことに。でもいったいここはどこ?
雨がしょぼしょぼ降る中、世界共通語で学生相手に聞きまくり、ようやくホテルにたどり着く。
だが、試練はこれからだった。
 ホテルグランデは町一番の繁華街サンタカタリーナ通りにあって、車の乗り入れ禁止区域。当然駐車場もなし。
途方に暮れつつも、とりあえずさっき車を置いた場所まで戻らなくては「高い塔の側だったよね・・・」と探し回って、何とか愛車発見! あーよかった。
ところが今度は駐車場からの出方が分からない「皆チケットみたいな物をゲートにさしこんでるけど・・・?」出口で立ち往生。後続車からクラクションの嵐。
 「ちょっとちょっと私たちは観光客なのよ!わからないんだからそんなにブーブー言わなくてもいいでしょ!!」その時奥から係りの人が飛んできて曰く。
「Can you speak English ?」                               
どうやら奥の事務所に行って駐車代を払って領収カードをもらい、それをゲートに差し込むと開く仕組みらしい。
「国によってシステムがいろいろ違うんだな・・・」
しかし感心ばかりもしてられない。一方通行だらけの迷宮を抜け、なるべくホテルの近くの駐車場までたどり着かねばならない。  これがまた至難の業!
そして一言も英語を理解しないお爺さんに「この車を明日の朝まで預かって欲しい」と伝える難しさ。
6ヶ国語会話集をひっくり返しても、早々都合よく同じ文例などのっていやしない。
それでも何とか「アマニヤン マニャン(明日の朝) 」でわかってもらえ、石畳の道をガラガラと大荷物を引きずりながら、遥か離れたホテルを目指して歩きつづける2人だった! ジャンジャン。
これもあれも全て旅の醍醐味。
 本日の夕食・・・・蛸のフリッター・750エスクード(525円)
          チキンの丸焼き・1、400(980円)
          ワイン《ヴィーニョ・ヴェルデ・》・600(420円)
 ☆ヴィーニョ・ヴェルデ・・緑のワイン,若々しいワインで,アルコール度8%、ポルトガル北西部のミーニョ地方で作られ、薄い黄色をおび、かすかに炭酸を含み、フレッシュな軽い飲み心地。         
 帰りにフランスパンに生ハムを挟んだのを2個、缶ビール4本・1240(868円)

5月19日
グランデは築100年の中級ホテル。  1人1泊朝食付4、400円也。
朝食はバイキング。一階の古びた由緒正しそうなダイニングでいただく。
天井や柱のレリーフ、シャンデリアも素晴らしいのだが、いやその食堂内の賑やかなこと。
ヨーロッパ各地からの中高年バスツアーの団体客が多く、さすがオバサンパワーは世界共
通。その中にあって私たちの存在は異質らしく、好奇心に満ちた眼差しが遠慮会釈なくグ
サグサ突き刺さる。
「日本から来たんだよぉー」大声で教えてあげたい。

食事の後、ポルトの海岸線に沿って北へドライブ。
あんまり波が良くないけれど、とりあえず榎本さんサーフィン。
私は海辺のカフェでセルベージャ(ビール)を飲みつつ読書。
帰りに、カイスダリベイラ、サンベント駅、市庁舎、セ大聖堂と見ながらホテルへ戻る。
さて本日の夕食は何にしようか?とシャワーを浴びてブラブラ町へ。
私たちのいけない所は、一応ガイドブックを持って来ているのに、レストランのチェック
を怠ってしまうこと。
でもどこでもおいしいワイン、パン、料理にありついてきた。
しかし・・・。
入り口の黒板にメニューが書かれた裏町の定食屋、「結構こう言う所がおいしいんだよね」
なんて言いながら奥まった店に入ると、不似合いなケバイお姉さんが2人、所在なげにタ
バコをふかしている。
「ゲゲ・・これはやばそうだぞ!」と思っても後の祭り。
お姉さんたち、大張り切りでオススメメニューを作ってくれたんだけど・・・。
ズブズブの茹ですぎのスパゲッティにマグロと鶏と豚の薄切りをムニエルにした物が添え
てある、それもものすごく大きなお盆のような銀のさらに乗って。
「ねぇーまさかこれが1人前じゃないよね」
赤ワインを飲みつつ食べていると、ヘイお待ち!と同じ物がもうひとつ。
「わぁー勘弁してくれえーとてもじゃないけどもうダメ!」
でも全部食べましたよ、頑張って作ってくれたお姉さんに乾杯!

 夕食・2100エスクード       ダン:作家壇一雄が愛したワイン。
 ヴィーニョヴェルデ・265         ポルトガル中部コインブラの北を流れ
 さくらんぼ1キロ・270          るモンテゴ川流域で作られる。
 カマンベール・プレジデント475      赤ワインはまろやかで香り高い。                     
 ワイン・ダン・495            白ワインはフルーティ。
 
5月20日
ポルトの北50キロにあるバルセロスの露天市に出かけた。
2年前にリスボンから南を旅したのだけど、心残りがひとつあった。
それは泥棒市とか蚤の市に行けなかった事。
今回は何が何でもと堅い決意の元、調べておきました。
高速でブラガまで、そこから一般道でバルセロスへ。迷いに迷ってやっとそれらしき町に
たどり着いたけれど、どこで市が開かれているのか分からない。
取りあえず教会の脇に駐車し、お参りに来ている50代位の女性に話し掛けてみる。
笑顔を作って「ボンディア!(おはよう)」会話集を忘れてきたのでそこから先はガイドブックの写真を指差しながら「レププリカ・マーケット」と連呼するのみ。
何いってんだか全然わからないけど、何とか親切に教えてあげたい・・・と言う感じで聞
いていたおばさん突然、「分かった!」と叫ぶと、パントマイムを始めた。
なになに、この道をまっすぐ行け?じゃあここから歩いていけるの?とこれまたパントマ
イムで聞く私。人が見たら変だよね、でも旅の恥は掻き捨てと言うから。
「オブリガータ!(ありがとう)」笑顔でおばさんと分かれ無事レププリカ広場へ。
ありましたよいろんなお店。トラクターや耕運機、鋤、鍬のたぐいから、ありとあらゆる衣料品、食品も魚、貝、肉、ソーセージ、生きた鶏「あ、客寄せに可愛いうさぎがいる!」と思ったらこれも食材。
野菜、果物、花、お目当ての民芸品を売る店もたくさん。
「旅のはじめに、あんまり荷物になるようなの買っちゃあダメだよ!」と相棒にくぎをさされてもこの日を楽しみにしていた私です、ギンギンに目を光らせて店から店へ。
「ああ・・・このまま車で日本に帰れるのだったら重い食器だって何枚も買えるのになあ・・・」とぼやきつつ、薄い板で編んだ持ち手のついた大きめのバスケットと赤茶色のぽってりとした楕円の陶器の皿一枚を買う。
このバスケットに赤茶の皿、ワイン、水、チーズ、サラミ、果物、エールフランスの機内から勝手に頂いてきたおしゃれなナイフとフォークのセット等スッポリおさまって旅の間じゅうとても重宝しました。
レププリカ広場の側にあるこじんまりしたレストランで昼食。
鰯の炭火焼、コージド・ア・ポルトゥゲーザ(肉、臓物、ソーセージ、豆、野菜のごった煮)
ヴィーニョ・ヴェルデ、全て大満足のおいしさ。2人でワインも飲んで2000円。

5月21日
夕べはとても疲れていたらしく、日がまだ明るい8時頃から泥のように寝てしまった。
おかげで今朝は4時起床。
ポルトも最終日、今日は観光の日と決めた。
最初に車をとめた高い塔・グレリゴス塔に登る。狭い石の階段をぐるぐるひたすら登って、てっぺんから街を眺める。下を見ると足がすくんで、お尻がむずむずする。
次にクリスタル宮庭園へ、入り口がわからず塀の周りをまわっておしまい。
ソアレス・ドス・レイス国立美術館は改装中で前衛的な白黒のドロウーイングが少し入り口に展示してあっただけ。
ポルサ宮の前を通り過ぎサン・フランシスコ教会へ。
ちょうどオーケストラが練習中で、素晴らしい響きに思わずベンチで聞きほれる。
その時観光客のグループが入ってきた。ガイドの声高な説明に演奏が中断され教会中の人が振り返って「しぃー」
それにもかかわらずその女性の声はますますエキセントリックに響き渡り、皆が眉をひそめる中、最後までガイドとしての使命をまっとうして出ていった。
ふぅーどこの国にも変な人はいるもんだ。あたりまえの事を再認識。
昼過ぎに車をいつものお爺さんの所へ持っていき「アマニャン・マニャン」と言うと「ダメだダメだ」といっている、どうやら明日は土曜日なので今晩12時でお終いらしい「わかったじゃあ今晩10時にまたとりに来るね」とポルトガル語で言えれば問題はないんだけれど・・・困った。どうしても通じない。そこに登場した買い物がえりの30代の女性に通訳を頼んでやっと一件落着。
しかし今度はその車を10時過ぎにどこへ持っていくかと言う大問題にぶっかってしまった。ホテルのフロントに行き事情を説明して車を置ける場所を聞く。 こう書くと英語がペラペラのようでカッコ良いんだけど、実は難しい言い回しなんかとっくに記憶の彼方に飛び去っているので、いかに簡単な単語(中学で習ったような)を組み合わせて意思を伝えるかと言うことばかり考えている。旅に出れば女も男も愛嬌と度胸です。
夜ガイドブックに載っているレストラン・マジェスティックで食事、元気な老人観光客で溢れていた。


続く「不定期」

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